2011年5月22日日曜日

子どもの悲嘆反応について

今回の大震災では、141人の子どもたちが親を亡くし孤児となったと伝えられています。彼らのほとんどは、親戚に養育されているとのことですが、平成14年に制度化されて活用が期待される親族里親制度がほとんど利用されていないと、最近報じられていました。阪神・淡路大震災の際には、68人が孤児になり、彼らに対してはあしなが育英会がレインボーハウスという施設を神戸市内に開き、多くの遺児たちの集う場所となりました。ここは、阪神・淡路大震災だけでなくJR福知山線脱線事故などの遺児たちのケアに大きな役割を果たしました。また、作家の藤本義一さんが発起人となってて芦屋市内に浜風の家という施設も、震災から4年後に作られています。
死別に伴う悲嘆反応の多くは、当たり前の心理的反応で時間の経過とともに、激しい感情はおさまり悲嘆も徐々に背景に退いていくといわれています。子どもたちに見られる、死別から早い時期の悲嘆反応の特徴と対応について、当学会理事の中島聡美(国立精神・神経医療研究センター)らがまとめました。
災害後の子どもの悲嘆反応の理解と対応

過去の災害に学ぶ:北海道南西沖地震

今回の大震災の対策を考える上で、阪神・淡路大震災や新潟県中越沖地震がよく参照されています。これら以外にも、忘れてはならない災害があります。それは、1993年の北海道南西沖地震です。日本海側で起きた地震としては過去最大で、大津波によって奥尻島住民の4%が亡くなるという激甚災害でした。漁業を中心とした地域が被害を受けたという点においても、今回の東日本大震災と共通した点があります。この災害で、被災者とくに子どもたちの心理的支援にあたった藤森和美が、復興のプロセスで被災地域のコミュニティが直面し、これまであまり語られることのなかった問題について書き下ろしてくれました。
北海道南西沖地震被災者の心的回復

2011年4月26日火曜日

精神科医療活動の変化

全国から派遣された精神科医療チームの活動は、地域差はあるものの、初期の混乱の中から次第に落ち着く方向に向かっています。医療中断を防ぐという当初の課題は、外部からの支援チーム、地元の医療および地域保健関係者の努力によって、克服されつつあります。地域によっては、次第に支援チームが撤退を始めたところもある一方で、もともとの医療資源の絶対的不足が影響して、外部からの支援がまだまだ求められているところもあります。地元のニーズに合わせた地道な活動がこれからも必要です。
こうした地域差は、阪神・淡路大震災の際も生じていました。地域内の医療機関の復旧程度、外部からの支援チームの多寡、保健所の機能の違いによって、活動の収束状況は異なっていました。各地域の時系列の変化を2年後にまとめた報告を紹介します。
全般的状況
神戸市東部
神戸市西部
阪神間および淡路島